表札はなぜ生まれた?とっても意外な表札誕生の歴史
たいていの戸建住宅の門には表札がかけられています。表札は日本人にとってなじみ深い存在ですが、表札を揚げる習慣はいつ頃からはじまったのか、また、日本以外の国々の表札に対する考え方など、興味深いエピソードを交えながら表札の役割をお話します。屋号は表札のはじまり
日本で表札の習慣ができたのは、まだ100年前後のことですが、表札を考える上で欠かせないのが「苗字」です。明治になるまで苗字を持つ階級は、武士、公家、苗字帯刀(みょうじたいとう)を許された豪農、豪商、そして、特殊技能を持つ集団(絵師の狩野派等)などで、それ以外は僧侶も含め一般庶民には許されていませんでした。 しかし、表札の起源ともいえる「看板」はかなり古くからありました。天長10年(833)、養老令の注釈書『令義解(りょうのぎげ)』には、その記述が残っています。看板の進化形が「屋号」となり、農家では「地形」や「地名」を、商家では「出身地」や「生業」などを屋号に使うようになったため、江戸時代に飛躍的に増えます。屋号の特徴は以下のようなものでした。1.商取引上の信用を得る(身分の証明)
2.社会的認知度を高める
3.集客効果を高める
4.個人の特定と判別
個人の判別というよりも、商家の存在感の表すことや、商売の戦略としての意味が強かったようです。大正時代に定着した表札
日本の土地に住むすべての人が苗字を持つようになるのは、明治維新以降ですが、「表札」を掲げる習慣はありませんでした。 しかし、大正12年(1923)、関東大震災が起こります。人々は、行方不明になった家族や親族の消息を尋ねたり、自分の無事を知らせたりするために、すすんで表札を揚げるようになりました。これがきっかけになり、表札の文化が全国に広がったようです。表札の歴史は案外最近のことなのです。海外での表札の習慣
日本以外の国ではどうでしょう。実は、韓国やタイなどを除いては、欧米、アジア、中東、ラテンアメリカにも「表札」という習慣はありません。おそらく「家の前に氏名を揚げる」というアイデアそのものがなかったからでしょう。 郵便物の配達は番地番号がしっかり記されていれば、特に不便を感じることがないようで、防犯上の見地からも「表札を付けない」ことが一般的です。世界的に見れば、日本はかなり珍しい国なのです。
こんな風に文字だけで別途取り付けると、海外の住宅街のような雰囲気に変わります。海外では番地だけを、アイアンや「真鍮の切り文字」で大きく取り付ける事があるので、洋風の雰囲気を出すにはオススメの方法です。
カントリー調の外構を目指すなら、こちらの「ネームタイル」。テラコッタの明るい茶色はクッキーのような甘いお菓子のように可愛い雰囲気。不揃いな形も、完成直後から味わい深い懐かしさを感じさせますよね。
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